将棋の駒、「歩」の裏が「と」になった一説について、亡父の説は有力説でしょうか?それともこじつけでしょうか?
将棋の駒で、「歩」の裏が「と」となっています。「と金」と呼ばれています。
では、なぜ「歩」が敵陣に入ってなると裏返って「と」になるのか?
ある将棋の本では、銀~歩までの裏側の文字は「金」のくずした字体で、銀からだんだんとくずし方が激しくなり、「歩」の裏はひらがなの「と」に似ているから「と金」と呼ばれるようになった、、、とありますが、
昨年亡くなった父(三段でした)が晩年言っていた説は、
将棋を指す人は「歩兵」のことを「ふひょう」と読むが、これは「ほへい」と読むのが一般的だ。江戸時代の発音では、「ほへい」でなく「ほへー」であっただろう、、、すると、考えられるのは、「い」「ろ」「は」「に」「ほへー」「と」で、「ほへー」の次は「と」としゃれたから(次に出世したら、とも言ってました)「と金」となった。
どんなものでしょうか?
私は「と金」は「鍍金」、本来は銅を冶金処理して表面を真鍮化した上で金箔を押し、金でできているようにみせる技術(現在のメッキの日本版)からかな、とも思うのですが?
皆さんの御高説をお願いします。
追伸、ベストアンサーは投票とさせていただきます。
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○将棋の駒、「歩」の裏が「と」になった一説について、亡父の説は有力説でしょうか?
それともこじつけでしょうか?
『将棋を指す人は「歩兵」のことを「ふひょう」と読むが、これは「ほへい」と読むのが一般的だ。
江戸時代の発音では、「ほへい」でなく「ほへー」であっただろう。
すると、考えられるのは、「い」「ろ」「は」「に」「ほへー」「と」で、「ほへー」の次は
「と」としゃれたから(次に出世したら、とも言ってました)「と金」となった』。
●江戸弁では「大根」は「でーこ」、「大変だ」は「てーへんだ」でしたから、あながち嘘とは言えませんね。
*「歩」は「止」を2つ合わせた字で「止」の略字は「と」であるから、
歩の成駒の「と」は前身が歩であることを示すため、「止」の字を略して「と」と表示したという説
*ひらがなの「と」に見えるが、実際には「金」を崩した文字であるという説
*「金」と同じ読みの「今」(きん)を崩した文字であるという説
*登金の略字であるという説
下記URLには、以上の4説が記載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A8%E9%87%91
○なぜ「歩」が敵陣に入ってなると裏返って「と」になるのか?
●本件は、いろいろなサイトを確認しましたが、ただ「ルールである」でした。
http://zokugo-dict.com/21na/narikin.htm
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「と金」は,将棋さしの間では「金」の崩し字説が有力です。
金と同じ機能を持つようになった成りごまの間で,もとはなんであったか区別を付けるために崩し方を変え,もっとも位の低い歩兵はもっとも激しく崩したと考えるのは自然なように思われます。
なお,「ほへー」についてですが,将棋は奈良~平安期には既に日本に輸入されており,このころの漢字の読み方は呉音が一般的でした。現在でも,仏教用語等古く輸入された漢語は呉音読みが一般的です。
現在でも,駒の名前は「かくぎょう」「けいま」「きょうしゃ」等からわかるように,基本的には呉音です。漢音だと「かくこう」「けいば」「こうしゃ」となりますが,そう読む人はいません。
したがって,歩兵も呉音読みで「ふひょう」と読むと考えるのが自然で,歩兵だけ漢音で「ほへい」と読んだと考える積極的な根拠はありません。
したがって「ほへーのつぎはと」説は,面白いけど根拠は乏しいと思われます。
「鍍金」説は,何で歩兵にだけこの語が使われ,銀・桂馬・香車には使われないのかを説明できないので私としては採りません。
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そもそも江戸時代の軍制で「歩兵」という概念があったのだろうか。
あったとして「ほへい」と呼んでいたのだろうか。
足軽、サムライ、雑兵、なんかはあるかもしれないが江戸時代に将棋を指す人が
「ほへー」という言葉を発したであろう可能性は限りなく低いのではないだろうか。
そもそも歩兵・騎兵は日本の近代軍制で・・
というようなことを言う孫を持たずに、今でもこんな細かい話を覚えている
孫がいてくれてあなたのおじいちゃんは幸せだったと思います。
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いやいやお父様は素晴らしい説をお持ちだ
ほへと ですか
お父上の説は400年のロマンを実に感じられる
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