将棋は取った駒を盤上のどこでも置けると言うルールのおかげで読む手が多すぎて読みきれない。読んでも意味がないゲームであると言えますか?
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それは絶対に言えません。読みは大切です。
ただ、おっしゃる通り読みの量が多すぎて読み
だけではすべてをカバーできないのも事実です。
これはプロの棋士でもそうです。
ですから、読みと同じぐらい、場合によっては
読みよりも大切なものがあります。ちなみに
『大局観』と言います。
『大局観』とは簡単に説明すると『状況判断』だと
考えれば良いと思います。読みが正しくても
状況判断がまずければ勝てません。
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慣れてきたらわかりますよ。
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確かに読みが全部外れる人にとっては読んでも意味がないでしょう。
ただある程度強くなってくると(駒の利きがすぐ見えるようになった程度)動かした駒をただでとられるような、意味のない手は最初から読まなくなります。
別にその手を指されても自分が得するだけですから。
相手がルールの範囲内で指せる手の中から、「指されると自分が不利になりそうな手」だけを読むようになるのです。
なぜその手が分かるようになるかというと、これは感覚としか言いようがありません。その感覚を極限まで磨いたのがプロ棋士達なのです。
まあ、まとめると
・弱い人はいくら読んでも意味がない。
・ただある一定以上の強さを身につけると自分が読む手を限定するようになってくる。
・その限定した範囲内なら、全てを読み切ることが出来る。
・ただ自分が限定した手以外になにか好手を指されると、こっちが不利になる。
といったところです。
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指せる手を片っ端から先読みしようとするとそういうことになりますが、有効な手は限られていて、熟練すれば無駄な手は読まなくなりますから、あなたの思うほど、読みが無意味ではないと思います。
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意味がないゲームであるとは言えないでしょう。
プロですら序盤から終盤まで最善手を指し続けることは不可能
です。
常に正解を出さなくても勝てるゲームで逆転も起こり易いゲーム
なので面白いと思いますし、むしろ、読まないと意味がないゲーム
のような気がします。
仮に、一生で一局しか指せないという制限があるならば、意味が
ないゲームという人も多いかもしれないです。しかし、当然そのよう
な制限はなく、我々は繰り返し対局できるのですから以前の読め
なかった経験がとある場面で深く読む手助けをすることだって多々
あるでしょう。最善手を見つけていくのは困難ですが、対局を重ねて
読みの経験を積んでいけば徐々に指し手が改善されて楽しくなって
くると思います。
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言えないと思います。
将棋は次の手を読んでつみまでもっていくものだともいます。
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