将棋の駒は取られると敵に寝返って攻撃してくる
というのが納得できません。一度は味方だったのが、敵の手に落ちたとたん、裏切って攻撃してくるなんて、
士道不覚悟だし、日本古来の武士道に反するのもいいとこじゃないでしょうか。なのに、日本でこれほど
人気のあるゲームであることが納得できません。
なので、将棋のこの駒の寝返りをムリやり日本的武士道に反しない美談に変えてしまういいストーリーはないもの
でしょうか。
将棋をするとき、自分にそれを言い聞かせてプレイしようと思います。
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終戦直後の話です。GHQが日本文化を調べて、将棋に対して貴方のような疑問を持ちました。捕虜虐待ではないかとも言ったそうです。あやうく将棋は禁止になるところでした。(馬鹿な話ではありません。当時、時代劇も禁止されていたのです)
それに対して、枡田先生が、「日本の将棋は、例え敵であろうともその能力を認めて、再度活躍させるのだ」と言う意味のことを言ったそうです。「チェスのように、戦場に女王を置いたりもしないのだ」とも。それで将棋は禁止にならずにすみました。
将棋の奥深さは、駒を再度使えることにあります。誇りをもって、楽しもうではありませんか。
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戦国時代は勝ち馬に乗る事が当たり前で、敵方に付いた時には先人を切って見方を攻める事は当たり前でした。
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「武士は相身互い」という諺があります。主君が滅びた為浪人していても、敵方の顔見知りが推挙してくれたりします。信長、秀吉、家康も有能の士と見ればどしどし召抱えました。(まあ信長はそれが仇となったのだけどね)武士道という道徳ができたのは徳川以降のことで、戦国時代の武士は自分を有能と見てくれる武将を求めて幾たびも主を変えたのです。
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もともと将棋の駒は
財貨、価値、理念などを表したものだそうです
(将棋を開発した人の一次資料はなく後代の研究ですが)。
そもそも武士道自体、徳川時代の怪しいもの
(家康も藤堂高虎や小早川秀明を活用して天下をとった)ですが
将棋は(戦争を表すので取った駒は死ぬ)チェスを原型とする一方
易などの東洋思想を取り入れた、武士道より高尚なゲームなので
敵の兵器、資源も活用するのだと思います。
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駒を兵ではなく武器と考えると、なんの問題も生じません。
ただし、実際の駒には、金将、銀将、と書かれているので、質問者のように解釈をすることになるわけです。
将棋が生まれたと思われる頃に、日本では、異なる民族間の戦いではなく、日本人同士で戦うことが多かったので、味方が降伏して、裏切って相手方につくということが起きやすい環境にあったのではないでしょうか。
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