将棋の駒が5角形なのは理由があるんでしょうか?
|||
現在でも諸説ある学術研究課題のひとつと言えます。一番古い駒は天喜6年(1058年)の木簡とともに出土した興福寺駒であり、このときすでに駒は五角形をしていました。四角形の駒あったはずだと言われれば確かにその通りなのですが、それを示す資料は出土していません。よって1058年出土の駒がなぜ五角形であったかは、研究者でも憶測の域を出ません。
当時、駒に使われた材料は木簡と言われる短冊状の細長木でした。木簡とは紙が普及する以前の代用品で文書木簡・付札木簡等がありました。文書木簡は手紙・付札木簡は大まかに言って荷札です。これら木簡の再利用や端材を利用して駒は作られたとされています。ただしもっとも成型が簡単なのは四角形でこれに墨書きすれば駒は駒として使えたはずです。
推論のひとつとしてですが、当時将棋はかなり底辺まで浸透していたと思われ、なかには字の読めないプレイヤーもいたと考えられます。彼らにとって局面が入り組んで複雑となったとき、正確に自軍の駒かどうかを判断するのは至難であったと思われ、トラブルの原因となった可能性があります。そういったトラブル解決の方法が先端のとんがりではないかとされる説です。
チェスでは完全に色分けされているので問題とはならないことですが、この色分けの変わりが先端とんがり五角形のはじまりとする説は有力です。実は先の荷札木簡のなかには紐の間に差し込むために先端をとんがらせたものが出土しています。
|||
これについては諸説あり、何が正しいかは特定できません。その中で私が信じている説は以下。
昔の人は木の切れっぱしを拾ってきてそれに墨で字を書いて手製の駒を作って遊んだ。木切れがどこにあるかといえばそれは建築現場である。現場にはクサビ(木材の隙間を埋めるもので幅も厚さも現在の将棋のの駒のように先細りの形をしている)がたくさんころがっている。さらに駒の進行方向を示すために(または敵味方の区別をつけやすくするために)頭をとんがらせた。その結果駒は五角形となった。
|||
将棋の歴史のなかで、駒の再利用ルールを採用したのは比較的新しいです。泰やら大やら中やら小やら、いろいろな将棋があって、小将棋に中将棋の駒である飛車角を足したのが現在の将棋につながってるわけで、駒の再利用はその後。だから当初は向き以外の方法で敵味方を区別しても問題はなかったはずです。
そんなわけで、駒の再利用ルールが五角形の理由という説は疑問。因果関係が逆ならわかりますけどね。敵味方の区別を色や形や名称ではなく向きで区別するには五角形が手ごろであり、結果的に再利用ルールにつながったとはいえます。
じゃ五角形はどこからきたのかってのは定説はなかったはず。だいぶ前の話なんですが、芹沢博文九段が健在だったころに将棋のルーツを探る的なテレビ番組のレポーターをやってて、仏教関連の「へぎ」というものが五角形の由来ではないかという説を紹介していました。あいにく僕は仏教に詳しくないもので、へぎがどんなものかよくわからないのですが。
ま、たまたま身近に五角形のものがあってそれを利用したのか、もともとは四角形でそれを削って五角形にしたのか、いろんな可能性を想像するのは楽しいです。なにはともあれ、あの五角形を創案してくれた人たちに感謝。
0 件のコメント:
コメントを投稿