待ち駒は卑怯ですか?
将棋をするとき相手の王将が来るところを見越して金や銀を打って、王将がこられないようにし、待ち駒をする人がいますが、このやり方をすると人によっては、いやな顔をされることがあります。
もっと正々堂々と指せ、といった感じで、正直、待ち駒はやっちゃいけない礼儀のようなものかなと感じてしまいます。
やっぱりプロの棋士でもタイトルなどがかかっていても待ち駒はしないものなのでしょうか。それともプロでも待ち駒を堂々とする棋士もいるのでしょうか。
よろしくお願いいたします。
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将棋の本には「待ち駒は、卑怯だと言う人がいますが、
待ち駒は『しばり』という高級手筋です」と書いてあります。
当然、プロも「しばりの手筋」は多用しますよ。
「しばり」は強い人が指せる素晴らしい手です。
当然タイトル戦でもたくさん出てくる高級手筋です。
嫌な顔をするのは、困るからですが、将棋なんて
相手の一番困る手を指すようなゲームですから、
困らせて何が悪いのかよくわかりません。
「しばり」で一発で仕留められるのに、片方から
延々追い続けて逃がしてしまうのは「王手は追う手」
と言って下手な将棋の見本です。
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待ち駒って、いわゆるしばりのことですか?
それだったら将棋の基本手筋の一つなのですが。
しばりを卑怯という人は、正直将棋に向いてないんじゃないでしょうか・・・
しばりとは別の「待ち駒」という概念があるのでしょうか。
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今時「待ち駒は卑怯」なんて
千円札のあの人の小説の中くらいでしか聞きません。
というか、今の人の「待ち駒は卑怯」という知識は
間違いなくほとんどは教科書のあsの小説から
得たものでしょう。
プロは待ち駒をしますし、解説では待ち駒を「良い手」と
テレビで堂々と全国報道でアマチュアに発信しています。
ちなみに、あの有名な小説でも、よくよく読んでみると
その部分だけ読むと確かに「卑怯な待駒」と書かれていますが
実際は待ち駒が卑怯だからやり返したんじゃなく、
「人が困ると嬉しそうに冷やかした」からです。
全文を通して読んでみれば坊ちゃんの行動原理は
はやし立てたり人を小馬鹿にする行為への反撃だということが
明らかですので。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/752_14964.html
兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。
元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。
十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。
ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。
あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。
眉間が割れて少々血が出た。
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プロは常に最強・最善を心掛ける筈で。待ち駒をするかしないか、などという勝敗と関係ないことを考えないと思います。
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待ち駒という言葉は既に江戸時代、山東京伝の洒落本にも登場するくらいで娯楽として庶民が将棋を楽しむ上で歴史は古いものです。ただ江戸時代の将棋は家元制度の将棋所があり、幕府に禄を貰う役人という側面がありました。つまり段位免状を出す大元が政治的役人なわけで、しかも代々の家元の長たる名人は将軍に成果物として詰将棋本を献上するしきたりがありましたが、それに序文を付けたのが幕府の御用学者の林家です。朱子学の儒教観念から罠をはって相手を嵌めるのは倫理的に好ましくないという言い分が、幕府の上の方から湧いてでたのが待ち駒云々の出所です。観念や道徳だけで実際問題の国難・多事多難に何ら無力だった朱子学の御用学者が、現実の人間の心理を相手にする勝負事にとんちんかんなことを宣った笑い話が現在に伝わっているだけで根拠も含蓄もありません。しかし江戸時代は将棋などの娯楽を統制・処罰の対象としたこともありましたから、バカなことでもお上が権力の理屈にしたら罷り通ったのです。天保改革なんか好例です。
現在だって、学校の成績のいい人のモラルがいいか?と聞かれてはい、とはいえないでしょ?それと同じです。
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皆さんがコメントしている通り、あまり卑怯という人はいないと思います。
プロも当然やりますし、むしろ力があると受け取ってくれるでしょう。
ただ勝ち負けに拘らず楽しむのが目的なら、あえて別の手を指して相手の様子をうかがうのも面と向かって指す楽しみだと思います。一度指して文句を言ってきたら「じゃあ別の手にしてやるよ」とばかりに偉そうに手を変えるのもコミュニケーションの楽しさではないでしょうかね。(^^)
ちなみにプロ同士の真剣勝負の場でも「友達を無くす手」なんていうのもありますよ。
その名の通り、二度と将棋を指してくれなくなるような、えげつない手が存在することもあるんです。(笑)
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ルール違反ではないのに礼儀に反するというのは、慣習次第だと思います。
ルール内でも、失礼であるとされることもありますからね。
武士道に反するということで、待ち駒は卑怯であると思っている人が多いんですが、プロの将棋を見ている人でそんなことをいう人はいません。なぜなら、プロが普通に「待ち駒」するからです。
待ち駒については、そうであるという判断がややこしい上、そこが将棋の腕の見せ所でもあるので、たとえ失礼と思う人が多くとも、それを禁止してしまっては、プロの技の意味がなくなるということだと思います。
ということで、待ち駒は卑怯である、は他の回答にあるように、ほとんど例外なく激しく否定されるというわけです。
ところが、角交換で角を成らないとか、詰ませることができるところを詰ませないで真綿で首を絞めるような手を指すことは、相手をなめているとか、ねちねちしていると非難されることが多いようです。
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多くのゲームがそうですが、将棋も先手と後手と基本的に同じ戦力で戦いを開始します。それでも勝敗が分かれるのは、勝つほうが多くの定跡(戦法)を知っているということもありますが、同じ駒でも効率よく使う方法を知っているからともいえます。待ち駒というのは、終盤における有効な駒の使い方として代表的なものです。
プロはもちろん、アマチュアでもちょっと強くなれば待ち駒を恥だと思わなくなります。逆にいうと、待ち駒を恥だと思ったり疑問を持っていたりするようでは、初心者の域を脱していないということです。
自信を持って待ち駒をしてください。そのうち、待ち駒という言葉の無意味さが感覚的に理解できるようになります。そうなれば初心者卒業は近いです。がんばってください。
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「待ち駒」という言葉を使ってしまうと何かネガティブな印象を持ってしまうかもしれませんが、これは「しばりの手筋」という立派な寄せの手筋です。
問題図を見てください。ここでの正解は何でしょう? そうです、2二金ですね。これで後手玉は「必死」になっています。「しばりの手筋」大成功です。2二金と打たずに、例えば4二金打からどんどん王手をかけるのは、後手玉をただ広い方に逃がしてしまうだけで、笑われる寄せ方です。
問題図なら、アマ中級者からプロまで皆2二金と打ちます。自信をもって「待ち駒」ではなく「しばりの手筋」を使いましょう。
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こんにちは、待ち駒が卑怯だなんてとんでもないですよ。待ち駒をしないで正々堂々と戦うなんて見当外れです。実際トッププロの定跡書にもこんな感じでよく出てきます。「ここで▲24桂と王手をかけたい所だが、ここはじっと▲55金、前もって玉の逃げ道を塞いでおくわけだ。焦る気をこらえてこのような落ち着いた手を使えるようになれば上級者の仲間入りと言えよう。」じっさいトッププロの対局でもよく使われているし卑怯と言うより手筋です。
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こんにちは。
待ち駒ですか…
仲間内では確かに嫌悪感を出す人は多いでしょうね。
私も子供の頃は、みんなそんな感じでしたね。
ひとつの戦法ですから、卑怯も何もないですよ。それを読んで指し合うのが将棋ですからね。
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将棋だろうとなんだろうと勝つのが目的です。
「待ち駒は卑怯だ」という言葉こそが、相手からの牽制の言葉であり、これにビビるかどうかも勝負のうちです。
ごちゃごちゃ言ってくる相手とは指さないほうが精神的にはいいですけどね・・・
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